今だから言えるんですけど、めっちゃ体調不良でしんどい時期があって、もうドデカイ不安を抱えて生きる日々だったんです。めまいやぱにっくがいつもそばにあって、薬を事前に飲んだり、お守りにしていました。
心が落ち着くツボとか、ぱにっくになったときに押すツボとかたくさん調べて、実際ぱにっく起きたら押していました。
そんな中でも、おしかつに行きたい気持ちはあって、体調が悪くならない準備して行っていました。それでも途中悪くなってしまうので、ごめんちょっと休んでもいいかなって言って座らせてもらったり、歩いたら落ち着くことがあるからって何駅分か歩かせてもらったりしました。(友達は一緒に歩いてくれました…)他にもたくさん、協力?してくれたことはありました。
イベントで会場に入る、人がたくさんいるところに入ることはとても恐怖でした。硬いパイプ椅子、周りには人がたくさんで、ここで体調不良になると推しを見ることができず、外に出なければならない、、イベント会場はぱにっくとは相性が悪かった。そして本当に楽しみにしていたちぇくめ上映会。案の定上映開始後、座っているだけなのに、グラングランめまいがはじまりました。とても楽しみにしていたから何が何でも見て帰りたい、事前に薬は飲んでいたけどそれでも体はめまいを出してきます。なんとかごまかすためにモゾモゾ動いたり笑 なんとなく体をさすったりしました。これはめっちゃ落ち着きがない人に見えます。
ぱにっく的なものは15分でおさまるとなんとなく知っていたので、はやくおさまってくれ〜〜となんとなく思いつつ苦しいと思いつつ、なんとかストーリーを見て…苦しいのと推しの切ない姿が相まって泣けてきて、じゃんじゃん泣いてしまい、気づくと体から力は抜け落ち着いて、最後は静かにストーリーを見ることができました。
「この場面を見ることができてよかった」の背景には、まじでここ最近しんどいからほんとに、よかった、感動してしまうよ、がありました。だから、ただのアニメ、なのかもしれませんが、しんどいが強い分、ある場面が刺さったり、言葉が刺さったりしていました。
しんどい中で元気をくれる推し、だったので、ああ推しってすごいなあって今になって思うようになったのです。大人になると、人の目を気にしてできないことが増えたり我慢したりすることが増えたりしている、かもしれません。そうしないといけないことがあるかもしれません。でも、我慢しなくてもいい場所があるのなら、できたのなら、そこで目一杯本当の自分になれたらいいなと思ったのです。それで心は癒されるし、推しができたのなら、その推しを好きだと言える場所があると幸せだなと思ったのです。
推しができた自分を潰すのではなくて、そのときの感情を潰すのではなくて、自分だけでもその感情を大切にしてあげたいなと思ったのです。あの人に言ったら文句言われるかも、、とかは人間だからあるかもしれない。だから自分だけでも味方でいる。友達ができたのならその人達とも楽しむ。
好きって気持ちは本当に支えになる。しんどい時こそ、忘れないようにしたい。忘れるほどのしんどさは、できることなら減らしていきたい。誰かのために自分の幸せや好きを潰すことは、できるだけ辞めようと思ったのです。
推しやおしかつがあったから無理矢理でも出かけれたし、早く寛解したのかもしれません。(病院に行ったりなど他にもいろいろしてはいました)もちろん友達の理解があってこそです。
体調について、諸々…真実はわかりませんが、感謝の気持ちがいっぱいなのでここに書いておこうと思いました。文がめちゃくちゃですみませんですが。ありがとう🌻
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